2016年8月29日月曜日

百年の計としての鉄道存続と路線廃止問題を巡る素朴な疑問

昨日8月28日(土)はふるさと銀河線沿線応援ネットワーク副代表中川功さんをお招きしした「JR日高線を守る会」の講演会をお手伝いしてきました。

北見から公共交通でお越しになった中川功さん

鉄道がなくなった後の地域


北見-池田間を走ったふるさと銀河線が廃止されて早10年。

沿線では鉄道がなくなったあと、地価下落や人口減少のみならず住民の間に大きな喪失感があったそうです。病院に通うお年寄りが住めなくなり、これが原因で札幌へ引っ越した方もひとりやふたりではないようです。
また各沿線自治体では、鉄道に代わる代替バスの関連費用だけでそれぞれ年に1,000万円前後の計上経費が自治体負担になっていることをご報告いただきました。

百年の計としての鉄道存続


こうした地域の実状を踏まえ、日高線も残すべきとのお立場から、路線維持のための一般財源ではない新たな財源確保と住民の利用促進案を提言いただきました。
一般の方にはちょっと難しい内容だったかもしれませんが、沿線自治体の行政職員や議員も多数来場しており、今後の参考になったのではないでしょうか。

地域の先人たちが百年前、必死に陳情して何とか実現した鉄道誘致。
そして脱獄囚がみせしめのために生き埋めにされながらつくられた北海道の鉄路。
これを今、そしてこれから百年をどうするのか。
物事の原点に立ち戻り、そして自分の次の世代も含めた時間軸で考える大事な視点をいただきました。

会の村井代表も「被災以来、一年半にも及ぶ代替バス運行といういわば社会実験中の日高線。苫小牧-様似間は3時間から5時間になった。バスには乗れない事情の方もいる。
そうしたことにより、バスになっただけで輸送密度が300人から200人以下に激減。バスではダメなひとも大勢いる
と力強いメッセージを会場に投げかけていました。

管内各町から140名の方がご来場

140人が来場して関心の高まりを感じました。
会へも4万円のカンパが集まったと聞いています。
報道でもとりあげていただきました。

鉄道を巡る論議に関する素朴な疑問


あらためて鉄道は特殊な交通機関だと感じました。
「赤字だから」「あまり人が乗ってないから」廃線でもいいというのが当たり前のように言われることに、「本当にそうなんでしょうか」と素朴な疑問を感じます。

道路は利用料がかからないわけですから、言ってみればすべて赤字です。
その金額も、鉄道とは桁が違います。
にもかかわらず、どんなに僻地の道路を整備しても誰も文句を言いません。
北海道新聞の藻谷浩介さんの記事によれば、有料の高速道路にしても維持経費は鉄道の10倍以上だそうです。

というと、したり顔で「道路と鉄路は事情が違うんだから別の問題」と仰る方もいますが、その「事情」に賛成ということでしょうか。鉄道は北海道から一切なくなってしまってもいいのでしょうか。
「現実はこうだ」ということと「現実をこうしていきたい」ということは別の問題です。

「ほとんど利用者もいないからいいじゃないか」と言われてしまいますが、先日台風の被害で止まった東京都内の路線の避難客が6人ときいてびっくりしました。
利益の出せる鉄道網が世界中にどれほどあるものなのでしょうか。