2017年9月23日土曜日

声をあげるということ、現実を変えるということ

9月の定例議会が閉会しました。
いつもそうなんですが、議会は独特の疲労感があって例えようもないのですが、終わるといつも変な汗出てぐったりして、精神的な肩こりみたいな感じです。
個人差があるのでしょうが、ふとこれはきっと私が読んだり書いたりするのに比べて、聞いたり話したりするのが圧倒的に、絶望的に、致命的に苦手だからというのもあるんじゃないかと思い当たりました今更。

書くことの(気の)重さ


議会って存外、(特に本議会は)読み書きがほとんどなくて、聞く話すばかり。
おかげで大事なことや肝心なことを言い忘れたり、単語がでてこなかったり、自分の意図や思いが全然伝わってなかったり、聞いてるとだんだん頭がぼーっとしてきて別の事考え始めたり、こういえばよかったと悔やんだり、どう言えばいいのか悩んだり、それはそれは二年経っても全然変わりません。
それこそぶっちゃけ世間話とかほんと苦手です。

そんな中、
「強みを活かせ」
と、とある人に言われたり、その後元ネタをぐぐったりして(やはり読まないと頭にはいらない)なるほどと膝を打ちまして。
なるべく書いていこうかな、と。

そのほうがみなさんのお役に立てるでしょうし、書けば書いたで色々言われることもあるのでしょうし、そりゃ職業的には不利な面もあるのでしょうが、何をやってもやらなくても色々言われるのでそのあたりはいい意味で開き直っていこーぜの気分です。
なるべくいい気分でやっていきたいと思います。
気は重いですが、文体は軽くいきます。

社会保障制度、このままでいいの?


さて今回の議会、その聞いたり話したりが苦手な自分なりに、そこそこ自分らしい発言ができたんじゃないかな、と思ったりしてます。
一般質問した二件の話はあらためて別の機会として、今回はある意見書についてなんです。

「介護保険の負担増及び介護抑制策の導入中止を求める意見書」というのものを浦河町議会から提出することになりました。
これは今年4月の介護保険法の改定を「改悪」とし、国はやめるようにと求める内容でした。
ではどんな「改悪」なのかというと、要するに収入がそれなりにある世帯の自己負担が増えたり、介護認定・給付を削減した自治体に財政支援してきますよーというものです。

ここで国の財政をみると、ヤバそうですよね。
いくら借金しても大丈夫という大臣もいるようですが、全然そう思えないです。
じゃあなんでそんなにヤバいのかというと、社会保障費の増大です。
それもほとんど高齢者福祉に関わる予算の増大です。具体的には年金、医療、介護です。

例えばこれ、税と社会保障のあり方を抜本的にあらためる、というのでなければ(そしてそれは政治的ハードル高すぎてもはやほとんど不可能にみえますが)、やはり一定の改定をしていかざるをえないのは明らかです。
抜本的にあらためるでもなく、改定もダメでは将来世代にまったく無責任だ。
というか今までの無責任の連鎖が今だ。
というのが私の立場です。

今回の改定は、お年寄りでも多少ゆとりのある方には負担してもらったり、誰でも彼でも介護施設にいれてどんどん介護レベルがあがっていってしまう状況を野放しにせず、自治体にも元気なお年寄りを増やしてもらう努力を求めるというのはある程度理解できるところです。
利用者負担の増はダメ、介護給付の削減もダメ、抜本的な制度の見直しもダメ、かといえば国の借金増やすのもダメ、何も変えちゃダメ、ではじゃあどうしたらいいんですか、マジで、と常々感じているところです。

というわけで
「将来世代に無責任であることから容認し難い」
という趣旨で反対討論いたしました。

正直介護制度にそんなに明るいわけではないです。
毎年のように変わるし。認識も多少間違ってるかもしれない。
結果としては賛成多数で提出に決まったわけですが、ただ何でも「問題なし」で通すのではなく、若い世代として言うべきことはしっかり言うことが大切だと思い直し、思い切って意見したところです。

若い世代が「声をあげる」ということ


よく若い世代の声がー、とかシルバーデモクラシーがー、とか言われますが、果たして本当に若い世代はやるべきことをやっているのだろうか。
と思うようになりました。
わが町の議会では、会派問わず、むしろ提案者サイドからも「若い世代ならそう思って当たり前だし、どんどん意見を言ったほうがよい」と言われたりするくらいです。
これは本当にありがたいことですし、浦河のこの懐の深さは誇りに思うところです。

「声をあげる」という言葉が、勘違いも甚だしい使われ方をする昨今です。
そりゃデモ行ったりツイッターするのもひとつの飛び道具かもしれませんが、我が国では議会を通じて制度・現実がつくられていくわけです。
意見書もその議会のルールに基づいて行われるわけで、バカにできない。ツイートよりも意見書の文面でも考えたほうがはるかに有効だと思います。
ほんとこのあたり議員になるまでまったくわからなかった。

議会に限らないことですが、なんとか総会やらなんとか委員会ってたくさんあって、現実にそういう場が構成員の総意を決める場であるわけです。
そこで何も言わないということは、それでいいと表明しているのと同じなわけで、あとから「本当は違うと思ったんだけどね」はルール違反です。
ちゃんと勇気をもって、しかるべき場で発言することが本当に大事。

その発言ひとつでは今すぐ現実は変わらないかもしれない。
が、現実を変えるということは、大きな岩に水で穴をうがつようなものであり、力によるのでなければ、やはり言葉によってしかそれは叶わないことなのだ、と議員になって実感としてリアルにわかるようになりました。
そう思うと議会だけじゃなくて、世の中ってそうなんだなあと見方が変わりました。
あんまりピンと来ないかもしれませんが、でもまあほんとにそうだよなあと感じることばっかりです。
あなたの勇気が現実を変える。かもしれない。

というわけで、先に書いた「自分らしさ」っていうのは、若い世代の立場だったり、他所から来たしがらみのない立場であったり、行政に近い職域の経験者であったりするわけです。
そういう意味で、そこから見える景色を言語化して、伝えていく、ということが今回の議会では意識してちょっとはできたかな、ということで。

ではでは。